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大防法・石綿則の改正によりアスベストレベル3含有建材も規制強化!

『石の肺-僕のアスベスト履歴書』(佐伯一麦)を読む③

第一章 電気工になった日

1982年10月、佐伯氏は東京都世田谷区にある団地の汚水処理場の建物の中に、蓄電池の交換をしに親方と一緒に入りました。

「なんだろう、これは?」それが佐伯氏が初めて、壁や天井一面にびっしりとアスベストが吹き付けられているのを目にした時の感想でした。

「ホコリのためか、いくらか黒く薄汚れている灰色のそれは、子供の頃に食べた菓子の落雁がしけったような、ぶあつい絨毯のようなものの表面が、みょうに毛羽だっている、という感じです。」

佐伯氏は親方に質問します。 「なんですか、これ?」

アスベストだ!火事にならないようにするんだ!」

株式会社とはいえ、従業員は社長兼親方。つまり一人親方の会社。

佐伯氏は高校中退。恐る恐る「私は高校中退ですが、それでもいいのでしょうか?」

「そんなことはかまわんよ。おれだって中卒だし。とりあえずは、工事用の黒板に字さえ書いてもらえればいいや。おれ字書くの苦手だから」

給料は日給月給制で日給8千円(40年前としては、めっちゃ高いですね)

「毎日の仕事の中では、アスベストはしょっちゅう目にしたり、素手でさわる機会がありました。親方(社長)とぼくが駆け巡っている団地は、1955(昭和30)年に、日本住宅公団が発足してから、つぎつぎ建てられたものです。(中略)空襲の火災の教訓のうえに「不燃住宅」の建設を基本路線として打ち出しました。「不燃住宅」を作るためには、耐熱性にすぐれたアスベストが不可欠でした。それに加えて、戦後の社会の要請でもあった「プライバシーの確保」を実現するためにも、遮音性にすぐれたアスベストは有効だったのでしょう。

その証として、日本のアスベスト輸入実績は、1955年から1970年にかけて急カーブを描いて急増しました。」

 

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「照明やコンセントを増設するときには、電線を入れるビニールや鉄の配管を止めるのにアスベストの面から直に電気ドリルで穴を空けて、支持金具を取り付けます。そのときには、もちろん、コンクリート粉とともにアスベストが部屋中に舞います。(中略)それば、後になって、自分の人生にどんな影響を及ぼすことになるものなのか、そのときのぼくは、そして親方でさえも、露ほど知らずにいたのでした。」