第三章 ヤバイ現場
・バブル突入とアスベスト
「日本は1986年からバブルへとなだれ込むことになります。
1985年に入ると、その予兆のように、新築の建設現場が増えはじめていることが感じられました。
アスベストの輸入量・消費量も、1975年に吹き付けアスベストが禁止されて減少傾向にあったものが、1985年には再び増加に転じています。
今度は、建材などの加工品として、目に見えない形でアスベストが多く日本国内に出回ったというわけです。」
バブルの真っ最中です。当時私はゼネコンに勤務していました。業務は経理でしたのでバブルとは直接関係ありませんでしたが、組合支部の役員をやっていましたので、何しろ建設現場が異常に忙しく組合員が休みを取れないことが最大の問題になっていました。
・不安の兆し
「しつこい咳には相変わらず悩まされ続けていました。(中略)現場を離れて家で寝ているときにも、夜中に激しく咳き込んで眠れないこともあるまでになり、そのせいかいつも胸が重苦しく、しかも夕方になって疲れが出ると三十八度ぐらいの熱が出ることもありました。」
・咳が止まらない
「ぼくが、長い間あまりに咳き込み続けているので、親方も心配し、現場を早く上がることができた帰りに、千歳烏山駅に近い病院で診察を受けました。
すぐにレントゲン写真が撮られ、気管支炎だろうという診断でしたが、一度大きな病院で診てもらったほうがいい、と勧められました。」
まだ当時はアスベストによる被害というのは一般化していなかったのでしょう。
・アスベストは危険だ!
佐伯氏と親方はある現場に向かいました。
生々しい会話です。
「「何だよ、ここはヤバイ現場じゃないか」そのとき、アルミの脚立に上って、点検孔から天井裏を懐中電灯で照らしていたK電設会社のF専務が突然声を荒げました。
そして、下にいる親方と私の方を見下ろして、「社長、ここの天井裏、びっしり吹き付けアスベストだよ、アスベスト。
いま問題になってるんだよ。それもずいぶん剥がれてしまってるじゃないの。
二年前の改修工事のときには、この天井裏にもぐって作業したんだよね。
ちょっとまずかったんじゃないの。
こいつはアスベストの除去工事をちゃんとしてもらってからじゃないと、うちでは請け負いかねるなあ」と首を傾げ、「そういえば佐伯さんも、咳してるみたいだから、気をつけた方がいいよ。アスベスト数と肺をやられることがあるっていうから」と僕にも忠告しました。」